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小池ひろのり 2011.6.30.更新

ホーム政治信条議会活動地域とともにプロフィールリンク更新履歴
【 2010年の履歴 】

総括審査に質問(12/26)
交通事故死亡者、増加(11/30)
「お米を食べよう」県民運動(11/25)
委員会での質問掲載!(11/16)
決算特別委員会で質問!(10/30)
一般質問の回答掲載!(10/19)
神戸マラソン、来年開催!(9/30)
一般質問内容、決定!(9/26)
区内の全小学校で県政報告会!(9/19)
高齢者交通事故死の対策を!(8/29)
スペシャル・オリンピックに向けて(8/19)
ほっとらいん相談、情報(8/8)
地域生活定着支援センターが実現!(7/29)
9月の本会議で登壇!(7/22)
神戸マラソン、実現に向けて(6/23)
小池ひろのり、警察常任委員に就任!(5/30)
地域とともに、更新(5/17)
一般質問の回答、更新!(4/24)
議員定数、3名減決定!(3/31)
小池ひろのりの質問、新聞でも紹介!(3/20)
小池ひろのり、一般質問!(2/26)
小池ひろのり、一般質問予定!(2/18)
環境防災コースの創設を!(2/7)
まちづくり政策審議会で要望!(1/11)
トップページ更新(1/3)

過去の更新履歴
【 地域とともに 】

東日本大震災で政府・民主党に要望!

 民主党・県民連合県議団を代表して、5/15〜17に東日本大震災の現地調査を行い、被災状況の実態をしっかり確かめて来ました。それを基に、阪神大震災で被災した経験を踏まえ、兵庫県当局と話し合い、関西広域連合とも連携し、東日本大震災復興支援をまとめました。(詳細は民主党県民連合議員団のHPに掲載)

 そして、6/8、早急な国挙げての支援を、政府と民主党に直接訴えるべく、永富幹事長と小池ひろのり(政調会長)は上京し国への要望を行いました。

 兵庫県出身の民主党国会議員と共に、松本龍防災担当大臣と岸本周平民主党陳情要請対応副本部長に直接面会し、被災地への早急な支援を要望しました。

 あまりにも甚大で広域な東日本大震災に対し、今でも、全国からボランテイアが職場を休み、応援に駆けつけています。被災した村役場の職員の半数以上が亡くなってしまった役場に、カウンターパート方式で、全国の市町村が職員を派遣し、何とか行政機能を支えています。被災地の企業が従業員の生活を保障するため、会社の再建に向け社長・従業員が力を合わせ必死に頑張っています。全国から2,500億円以上の義援金が集まっています。

 まさに国民総力を挙げて、この難局を乗り越えようとしている“日本の素晴らしさ”に、今、世界も注目しています。

 これだけの広域な大災害に対し、党派を超え、被災地の住民の立場に立った早急な対策が求められています。地域の再建、まちづくりのため、地域を中心に据え、国がしっかり支援していくことなくして、復興はあり得ないと考えます。まさしく私達は、自助・共助・公助の精神で、他岸の災いとするのではなく、全国の皆さんと一緒にこの難局を乗り切って行かねばなりません。この精神無くして日本の再生はあり得ないのではないでしょうか。がんばろう日本!


現地調査報告

東日本大震災の現地調査報告

 今回の東日本大震災の現地調査に、民主党兵庫県連は国会・県市会議員5名を先発隊として派遣、民主党県民連合議員団として第1班で7名、第2班で4名を派遣しました。

 小池ひろのりは、民主党県民連合議員団第1班の政務調査に加わり、5月15日から3日間、関西広域連合の兵庫県が担当する宮城県を中心に被災地の調査に入りました。計画をした当初は、まだ仙台空港が閉鎖中、新幹線も不通で、現地までのアクセスがない状況だったため、レンタカーを借り、議員が交替で運転して被災地を回る腹をくくっていました。

 仙台空港は、2メートル位の高さまで津波が押し寄せ、駐機中の飛行機や車が流され、ガレキと汚泥で道路は寸断され荒れ地にただ建物だけが残っている状態でした。水が引いた後、直ちに在日米軍のパラシュート部隊、自衛隊が送られ、続いてヘリコプターで運ばれた重機の活躍で、何とか滑走路を確保。空港としての機能を回復、まず救援物資の集積拠点を確保し、その後、物資運搬車輛のための道路を復旧したと聞きました。

 お陰で仙台空港は復興し、臨時便が飛ぶようになり、何とか私たち県議団の座席が確保出来、仙台空港に向かいました。空から見下ろす被災地が近づくにつれ、余りにも広域に及ぶ被害に驚きました。海岸線から約3キロ、南北に幅数百キロに渡って、何も残っていない荒野が延々と続いていました。現地に降り、さらに驚き!田畑も住宅も、まさに根こそぎ津波に洗い流され、一面ガレキと汚泥の廃墟の地となっていました。辛うじて残った鉄筋のビルの3階(地上16メートル)の屋上に、津波の鉄砲水で押し上げられた車が乗っており、そのすぐ横に漁船が打ち上げられており、その地域の車はすべて廃車となって転がっており、津波の恐ろしさを実感しました。

 阪神・淡路大震災とは明らかな違いを感じました。海岸線の津波による被害は、それはそれは恐ろしいという表現が当てはまるほどでしたが、津波を免れた海岸から離れた地域では、例えば仙台市内のように1階は水に浸かってしまった家屋が多数見受けられたものの、地震による崩壊はあまりありませんでした。神戸のようにブルーシートに覆われた屋根もあまりなく、少なくとも宮城県では地震の被害より、圧倒的に津波の被害が甚大であると感じました。

 全国から駆けつけてくれたボランテイアも、連休が終わり多くが帰ってしまいました。これからも息の長い支援が必要で、これだけの災害、とても地域の力だけで立ち直れるとは考えられません。まさに自助・共助・公助の考えのもと、国を挙げての復興支援として乗り切って行かねばなりません。がんばろう日本!


東日本大震災の現地へ

東日本大震災の現地へ

 5月15日から3日間、小池ひろのりは、東日本大震災の宮城県(関西広域連合の兵庫県担当県)を中心に現地調査をいたしました。復興・復旧に迷惑をかけないという観点から、自己完結型の異例の調査でした。

 海岸線から約3キロ、幅数百キロに渡って根こそぎ津波で流され、一面汚泥とガレキだらけの荒地に、所々打ち上げられた漁船と引っくり返った車が目を引きました。今でも自衛隊・在日米軍・警察・消防が懸命に行方不明者の捜索にあたり、全国から集まったボランティアがガレキ等の撤去で活躍しており、兵庫県からの多くの応援部隊にも出会いました。

 地震から2ヶ月が経過した今でも、余りにも広域にわたる大災害の爪痕を目の当たりにしました。復興には長期的な自助・共助・公助の精神と、日本の総力で乗り切っていかねばならないと痛感しました。



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